2020年色々ありすぎでした・・・!
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
さて、みなさまにとって2020年はどのような年でしたでしょうか?
わたしは1月末叔父の会社を卒業し、12月は癌の手術、療養で終わりました。なんて年なんだ!!一年の間にこんな大きな経験をしている人もそうそういないのでは?
結局癌は『嫌色素性腎細胞癌』というものでした。後で知ったのですがどうやら薬が効かない型。2ミリの悪性腫瘍とその周辺をダヴィンチというロボットで切除しました。4ミリから7ミリがステージ1なので本当に初期の癌でした。
それでも術後は血栓が詰まったりして吐き気と内臓の痛みで5日間ぐらい本当につらかったです。でも主治医の先生方、看護師さんが本当に親身になり看護くださり本当に救われました。ナースは天使ですね。そればかり思ってお世話になっていました。医療に従事しておられる方々!本当に尊いお仕事だと心から尊敬します!
アチーブメントの青木社長がセミナーで早期発見が一番!とよくおっしゃいますが本当にそうだと実感しました。コロナで検診を延期しているかたおられたらすぐ申し込まれることを強くお勧めします。
手術を通していろいろ気づきがありましたがその中でも、リアルタイムのライン、メッセンジャーでの励ましにとてもとても勇気づけられたことが一番に挙げられます。当事者になって初めてリアルタイムでの励ましがこんなに嬉しいと知りました。
友達が入院と聞いても、正直どうしたらいいかわからず、落ち着いてから連絡したほうがいいのか?今がいいのか?いや、それどころではないだろう?とか考えてしまっていましたが、勿論個人差もあると思いますが、リアルタイムでの励まし!!めちゃ効果があります。もしわたしが見舞う立場になれば躊躇せず励ましのメッセージを送ろうと決めました。
一方、仕事ですが、わたしの思ってもいない方向へ色々動きが出てきています。それはまたはっきりしましたらご報告させていただけたらと思います。
何はともあれ、留守をしっかり守ってくれた実母と子供たち、何日も休みにくい仕事を休んで病院につきあってくれた主人に心から感謝します。こうして生きていること、みなさまとのご縁に心から感謝し、余生を生きていきます。
これからもどうぞお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
読んでくださりありがとうございました💛
あちゃ~なことが起きました。「人生はネタ作り」と改題しよう!?
あれだけ暑かった夏もすっかり終わり、寒い季節となりました。
皆様お元気でしたか?
今回、またまたネタを仕込んでしまいました(;^_^A
ここからは、まさかの病気編です。
突然ですが先日『腎細胞癌』の疑いが浮上しました。
コロナ前に受けた健康診断にひっかかり、何回か造影剤をいれての検査をしていたのですが、ぜ~~~~~~んぜんっ気にしていませんでした。
「大げさなことするな~」ぐらいの気持ちだったのですが、結果はまさかの「癌の疑いがある」ということでした。
癌かも?と言われての反応はかなり冷静だったと自己分析しています。
仕事のやり切った感がないのが心残りではありますが(;^_^A 子供たちも成長したし、好きなことさせてもらったので、ここで人生終わっても悔いはないなぁってホントに思いました。
胃カメラは定期的に受けていましたが、会社勤めしてなかったらここまでしっかりとした健康診断は受けていなかったと思います。今回、癌だとしたら超早期になるのでロボットで取れば終わりだろうと思っているので気が楽ってことも大いにありますが。
いずれにせよ、いろいろ自分で人生設計をしてできると思えばできる!と進んできましたが、これは神様が待て!といっておられるのだなと感じています。
大きな大きな方向転換を迫られていると感じます。
法人を延期すると決めてから、癌もそうですし、わたしの身辺も色々動き始めて、やめると決めたら動くなんておもしろいなーと思っています。
また皆様にそのこともシェアしますね。
なにはともあれ、13日に全身検査(転移していないか?らしい)16日にまず悪性か?そしてそうなら今後の治療方針が決まります。
それまでなんとなく落ち着かない日なんですが、一日一日やるべきことをしていくだけですね!
幸いなことに今現在体調は極めて良いです。
これからも変わらぬお付き合い、どうぞよろしくお願いします!
また、ネタを作ってしまいました。
この学びが私の人生を変えたと言っても過言ではありません。
何なのか気になるかたはコメントくださいね。
学びの間にも、親戚が新しく作った子会社に請われて入社したものの親会社の業績不振が元とはいえ一年半で解雇されたり、まぁ色々ありました。
その中でその学びの師匠とも言える方が私が請われて入った会社を「こともあろうに首になりそうだ」と伝えるとこう言いました。「岩佐さん!!沢山ネタ作っていますねぇ!人を励ますためのネタ!!人生はネタ作りですよ!」
単純なわたしはそうなんだ!ととても気が楽になりました。「そっか~、ネタかぁ。確かにわたしもしくじり先生とか好きだよなぁ。」
多くの方は成功してから、失敗談や自伝を書いておられると思います。
わたしはどうなるかわからない。正直恐ろしく怖い。けれど、私のように諦められない、なにかしたい!人のお役に立ちたい!と思っている方の少しでも励ましや参考になればとの思いだけで、ブログを書く決心をして数回書きました。
父との生まれた時からの微妙な関係がわたしの今の考え方の基礎を作っています。
「三つ子の魂百まで」。幼いときからの手に職を持つのだ!という願いがいまだに消えずここまで来ました。
10歳のわたしにやっとここまで来たよ、と伝えたいと思います。
とブログに下書きしておりましたが(笑) 今回法人化の延期を決断しました。
一年以内にはもう一度挑戦したいと願っています。
しかし、またひとつ大きなネタが出来てしまいました(´;ω;`)
個人事業主と経営者の立ち位置、マインドはこんなに違うのかとここ半年間、疑似体験のようなものですが、痛感しました。(詳しく書けなくてごめんなさい)
世のあらゆる経営者の方を改めて心より尊敬します。
法人化は手段であり目的は同じですと多くのかたに言っていただきました。
個人事業主としてですが、
まず、「胚葉美学」を基にその方に合った化粧品のご提案をしていきます。その第一歩として10日にリアルセミナーを生駒市で開催します。
「行くよ」と表明くださった皆様、実りの多い講習会にしようと練っていますので楽しみにお待ちくださいませ。
アンジュで選ぶ商品には明確な基準があります。商品の作者が見えること。その方の正直さ、誠実さ、商品に対する思いにアンジュが共感できること。これだけ物があふれている今、何を買うか?ではなく誰が作り、誰から買うか?が大切だとこれまでの経験で痛いほど実感しているからこその譲れない基準です。
また化粧品に限らず食、衣などの商品、またこれをしたい!
ひっぱりまくまったブログでしたが、自分でもこんな結論になるとは思いませんでした。
そんなのを読んでくださった皆様、ありがとうございました。
そしてこれからもよろしくお願いします!!
なぜわたしは50代で起業するのか? その3
しばらくは副業として二足の草鞋を履きましたが、どんどん化粧品販売が忙しくなっていきました。
自分を必要としてくれる人が待っていると思うとわくわくして面白くて仕方ありませんでした。
また、人として、社会人として、そして営業マンとしての知識、訓練を受けることができました。
どうしたら、第一印象をよくできるのか?また会いたい!という人になるにはどうすればいいのだろう。何をわたしがお客様に提供できるだろう?そんなことをずっと考えていました。
講師業は学校が編成改革をしていたのを機に迷惑がかからない時期を選んで辞することにしました。あれだけ固執していたのにあっさりと辞めました。それだけ化粧品販売に魅力がありました。
それから化粧品販売一本、マネージャーとしてやってきましたが、ここでまた挫折します。関係者の方にご迷惑がかかることなので詳細は書けませんが、そこの会社の方針が納得のいくものでなくなり、大事な人を守ることができなくなると判断して文字通り断腸の思いで15年関わった会社を退会しました。
またわたしは自分の城を自ら壊してしまった。その時はこれだ!と思うのに、そして一生懸命お世話をし、人間関係を構築し信じてもらってきたつもりだったのに。退会したら人はどんどん離れていきました。わたしがしてきたことは一体何だったのか?大切なひとを守るつもりが裏切ったことになるのか?
砂の城が崩れていく絵が見えるようでした。
それからは全く自分の判断基準に自信が持てなくなりました。何をしたらいいのかわからず、子供が大きくなった今こそ、仕事に専念できるはずなのに何をしていいか全くわからない。迷路に入りこんでいた、そんなときにある情報に出会います。
なぜわたしは50代で起業するのか? その2
こんにちは!岩佐みどりです。前回のブログでは予想以上に反響がありびっくりしました!!ありがとうございます!
「ひとりっ子のお嬢さん、いえおばさん(^.^)/~~~」のイメージが強いようです(-_-;)
中にはそこまでプライベートを明かすこともないのでは?というアドバイスも頂きましたが、前回のブログで書いたことをお伝えしなければ今の自分を語ることはできない!のです。本日はその2です。
英語で身を立てる方法はないものか?ずっと自分なりに模索しましたが、どうしてもいい方法が見つかりません。やがて正社員として就職したものの、英語を手段にした仕事をしたいという思いがどうしても断ち切れず、ある短大の助手の採用に応募しそこに転職しました。
しばらくしてそこの上司の勧めで教員への入り口は大学院で修士課程をとることだという助言を受け猛勉強しなんとか合格。26歳でまた学生になりました。
ここでひとつ選択ミスをしています。わたしは英語を仕事の手段にしたかったのであって、英語そのものを武器にしたかったわけでなかったのです。結局その手段は私なりに必死で探しましたが見つけることができませんでした。『いい情報はその人の人生を変える』と言いますが身に沁みる言葉です。
28歳で結婚と同時に非常勤講師として母校で教え始めました。
恩師が業績(学会論文発表のこと)がないわたしを教授会で「近いうちに論文を書かせるから」と説き伏せて採用されたと聞きました。とてもとても有難いことでしたがこのことが後々わたしを苦しめることになります。
わたしには子供が三人いますが、子育て中も講師業にしがみついて離れませんでした。離したらもう二度と採用されないことがわかっていたからです。子育てと仕事、それはそれは必死でした。
しかし、論文を出さないと来年の契約はなくなる・・・益々プレッシャーになってきていました。でも書けない。子供いるし、なによりも実力ないから自信がない。そのジレンマにいるときにある化粧品に出会いました。
お肌の曲がり角をとっくに過ぎていたわたしにある友達の「小顔になるよ!」の一言で使うことに決めました。わたしに影響された母もその友達のおばぁちゃんたちもきれいになってすごく喜んでくれました。営業に目覚めた瞬間でした。
私はなぜ50代で起業するのか?その1
『時々やることが影響を及ぼすことはない』マイケル・ボルタック
この言葉を聞いたとき、漫画のようにガーーーーんっとなりました。
わたしのことだ~!!
どうしても、こんなこと書いてなんて思われるかな?
こんなことみんな(みんなって誰?)もう知っていて、改めて書くことではないのでは?とか色々考えてしまいますが、一つでも共感してもらったり、あ~そうなんだ!と思ってもらえたら嬉しいという初心を忘れずに、恐れず配信続けます。
ここでなぜ50代で起業すると決めたのか?
それはわたしの生い立ちから語らなければなりません。
わたしは昭和42年2月1日大阪の日赤病院で生まれました。
父は母より10歳年上で高度成長期真っ盛り、ザ・昭和の商社マンでした。両親は親戚の紹介で結婚しました。私が生まれてまもなく、その紹介してくれた親戚が母をいわゆる”いじめ”が始まり、父が母をかばわなかった(なぜかは不明のままです)ため、母は乳飲み子のわたしを連れて家出をします。それから両親が復縁するまで、父とはめったに会うことはなく、父は「どこか近場に旅行に一泊連れて行ってくれて、あくる朝はゴルフでいなくなる人」でした。
母は父から最低限の生活費はもらっていたとは思いますが、生命保険、スーパーの店員などをして家計を支えていましたのでわたしは一人っ子の鍵っ子でした。
母、祖母、叔母たちに十二分に愛情を与えられて育ちましたが、どこかでいつも寂しく、影のある子どもでした。
苦労している母をみていたので、絶対結婚しても仕事ができるようになりたい!ずっとずっとそう思っていた生意気な子どもでもありました。
母は父との離婚を選びませんでした。わたしを高校に行かせたいということが大きな理由でしたが、クリスチャンでもあったので、父を赦すという選択をし復縁しました。わたしが15歳のときでした。そう受験の真っ最中!!中三の12月に当時住んでいた宝塚から今住んでいる奈良に引っ越しが決まり、わたしはなんと準備していた兵庫県の公立高校受験を断念し、内申書もなにもかも効かない県外の高校へいくことになったのです。志望校すらどこを選べばいいのか全く分からず、そりゃもう大変でした。
なんとかかんとか、家から近く内申書がいらない私立高校に合格し高校生活を始めます。
高二のころ、父に習わせてもらっていた英語が得意であることに気づき、英語を極めることにしました。他の勉強は全然しないで英語ばかり狂ったように勉強しました。
そのまま上に進学した大学では交換留学生に選ばれ一年間ですがアメリカ留学も経験させてもらいました。
大学時代は奈良学生ガイドというボランティアで外国人の観光客を案内するサークルに所属し、まさに青春を謳歌し英語漬けの毎日を送りました。そこでいまの主人と出会いました。 19歳でした。
to be continued・・・
法人化するための手続きって?
皆様、こんにちは。最大級の台風が接近しているというニュースを聞きながらブログを書いています。被害が出ないことを祈ります。
さて、今日は法人化するにあたり税理士先生から教えていただいたことを書いてみます。一歩踏み出したいあなたへ何かのお役に立てば嬉しいです。
①資産負債は繰り越し決算費として法人に引き継ぐことができる。
※利益が出た場合は税金を支払うor払いもどし
②10月に法人化するので9月末で個人事業主として締めて、2月に確定申告する。(忘れないこと!!)
③社労士さんに主人の休眠会社を復活させてもらい、出資金を10万円~入れる。
④決算月を決める。
*一年以内ならばいつでも自由に決められるが、ちょうど一年後にしたほうが、一年間の動きがよくわかり今後の比較に役立つということで 9月末締め9月決算としました。
税理士先生には、
をお支払いします。
日々の経理はクラウド上でやり取りすることになるとのこと。また簿記のつけかたも事前に講習があるから大丈夫!と言われましたが、その言葉信じます(´;ω;`)
次回の面談は、10月入ってから、個人事業主としての決算書をもっていくことになっています。