Ange777’s blog

50代女性です。人生まだまだあきらめたくない!あなたへ。起業していく軌跡をみてください。

私はなぜ50代で起業するのか?その1

『時々やることが影響を及ぼすことはない』マイケル・ボルタック

この言葉を聞いたとき、漫画のようにガーーーーんっとなりました。

わたしのことだ~!!

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どうしても、こんなこと書いてなんて思われるかな?

こんなことみんな(みんなって誰?)もう知っていて、改めて書くことではないのでは?とか色々考えてしまいますが、一つでも共感してもらったり、あ~そうなんだ!と思ってもらえたら嬉しいという初心を忘れずに、恐れず配信続けます。

 

ここでなぜ50代で起業すると決めたのか?

それはわたしの生い立ちから語らなければなりません。

わたしは昭和42年2月1日大阪の日赤病院で生まれました。

父は母より10歳年上で高度成長期真っ盛り、ザ・昭和の商社マンでした。両親は親戚の紹介で結婚しました。私が生まれてまもなく、その紹介してくれた親戚が母をいわゆる”いじめ”が始まり、父が母をかばわなかった(なぜかは不明のままです)ため、母は乳飲み子のわたしを連れて家出をします。それから両親が復縁するまで、父とはめったに会うことはなく、父は「どこか近場に旅行に一泊連れて行ってくれて、あくる朝はゴルフでいなくなる人」でした。

母は父から最低限の生活費はもらっていたとは思いますが、生命保険、スーパーの店員などをして家計を支えていましたのでわたしは一人っ子の鍵っ子でした。

母、祖母、叔母たちに十二分に愛情を与えられて育ちましたが、どこかでいつも寂しく、影のある子どもでした。

苦労している母をみていたので、絶対結婚しても仕事ができるようになりたい!ずっとずっとそう思っていた生意気な子どもでもありました。

母は父との離婚を選びませんでした。わたしを高校に行かせたいということが大きな理由でしたが、クリスチャンでもあったので、父を赦すという選択をし復縁しました。わたしが15歳のときでした。そう受験の真っ最中!!中三の12月に当時住んでいた宝塚から今住んでいる奈良に引っ越しが決まり、わたしはなんと準備していた兵庫県の公立高校受験を断念し、内申書もなにもかも効かない県外の高校へいくことになったのです。志望校すらどこを選べばいいのか全く分からず、そりゃもう大変でした。

なんとかかんとか、家から近く内申書がいらない私立高校に合格し高校生活を始めます。

高二のころ、父に習わせてもらっていた英語が得意であることに気づき、英語を極めることにしました。他の勉強は全然しないで英語ばかり狂ったように勉強しました。

そのまま上に進学した大学では交換留学生に選ばれ一年間ですがアメリカ留学も経験させてもらいました。

大学時代は奈良学生ガイドというボランティアで外国人の観光客を案内するサークルに所属し、まさに青春を謳歌し英語漬けの毎日を送りました。そこでいまの主人と出会いました。 19歳でした。

 

to be continued・・・